2007年02月07日

名工との名をなさしめるには、後世の時代背景と評価する人物次第!!

村々を、街々をウオーキングする楽しみは自然の草花や小動物ばかりではない。歴史的な建造物の 由緒 を知る楽しみがある。


何れの自治体も同様だと思うが、北武蔵も埼玉県や各市町村の教育委員会が随所に案内板を建てて我々を楽しませてくれる。


2月6日、陽気に誘われて彩の国(埼玉県)嵐山町をウオーキングした。途中、ふと時代を感じさせる寺が目に止まった。案内板が分かりやすく、既知の名称が出てくるので興味深かったのでご紹介する。


日光東照宮のねむり猫(左甚五郎)を例にするまでもなく、後世の人々がどのように評価し、扱うかで、歴史に名を残すか否かが決まる。何時も同じように思う。


熊谷市の飯田和泉藤原金軌の御子孫はさぞかし鼻高々だろう。熊谷市で、あるいは、熊谷市出身の飯田さんと聞くと 名工飯田の御子孫ですか? と尋ねたくなる。財産を子や孫に残すことで子や孫が堕落するのを諌めて 美田を残すなと と言うが、名工との評判を残すのとは訳が違う。意味が異なる。


羨ましい限りだ。心しなければならぬ。


19020638 安養寺山門.jpg  嵐山町指定
  建造物      安養寺山門

            指定 昭和六十年十二月一日
            所在 嵐山町大字大蔵字
            時代 江戸時代後期

当山門は、棟札から江戸時代後期天保十年(1839)の造営と知れる。天台の宗門にふさわしく、重厚で気品あふれる風格をそなえ、貴族的趣味を彷彿とさせる。一部籠彫りの唐獅子・龍・花鳥が配される。

棟梁は、棟札に「河原明戸村飯田和泉藤原金軌」とある。現在の熊谷市(旧大麻生村)の人で、当代北武蔵の名工と名高い。

なお、東松山市八雲神社社殿、川越市氷川神社の彫刻など、天保期の造営となる建造物の棟札にも飯田姓を多く見ることができる。これら一連の工匠と彫工は、同族飯田一族と推察されるが、その卓越した技法は群を抜いている。
        昭和六十二年三月
            嵐山町教育委員会


posted by 三龍斎 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 武蔵国 嵐山町 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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