天保11(1840)年誕生、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)血洗島の農家出身で、一時期「一橋家」「幕府」「明治新政府」に仕えられたが、その後下野、民間人として
「道徳経済合一説」を唱えられながら、各種産業の育成と近代企業の確立に努められ、設立に関わった企業が500余、加えて、600以上の社会福祉事業に関わられ、国際親善にも貢献された 明治の大先達 渋沢栄一翁(雅号 青淵=せいえん) の事をご存知ない方は居ない? ・・・ 居るかも知れないが、それ相当の社会人ならご存知あって然るべしと思う。
サブプライム・ローン、リーマン・ブラザース etc etc ・・・ 世界中を巻き込んだ今回の経済大混乱の首謀者(?)関係者は翁の爪の垢でも煎じて飲んで頂きたいものである。
その翁の記念館へ「2月14日に」行って来た。
熊谷市の「名勝 星渓園=せいけいえん」を訪れ、時間と体力の余裕があった(と思った)ので、そこから比較的近い渋沢記念館を20年ぶりに訪れたのである。調子に乗って動き回ったので、又、体調が怪しくなってしまったが後悔先に立たず、である。今回は記念館だけだったが、翁ゆかりの史跡等は数多いので、十分体調を整え再訪したいと思っている。翁の経歴、実績などはインターネットでも詳しく調べられるので、そちらに譲ろう。
(検索の序に、飯能戦争とか振武軍、渋沢成一郎(喜作)、渋沢平九郎もご覧下さい)
記念館を訪れられ、翁の事(エピソードなど)を知りたい方は、お一人でなく数人のグループでお越しになり、館の受付で「説明」を願うと職員の方が無料でタップリお話しくださる。私は一人で訪れたのだが、グループの方々の後ろで拝聴しました。色々面白い話が聞けますよ!
職員の方から教えられたエピソードを一つだけご紹介しよう。
渋沢家は苗字帯刀を許された富農だったが、元治元年(1864)一橋家に仕官し武士となっている。何故、仕官しようとしたか、武士になれたのか? 発行されているパンフレットには記載されていないが、当時「指名手配」されていたので、尊皇攘夷運動に加わっていた関係で水戸に縁の深い一橋家(後の15代将軍一橋慶喜)に救いを求めた、のが実態だったそうである。サモアリナン!
左下=渋沢栄一記念館 中下・右下 翁の銅像(銅像は記念館の裏手・北側にある)